全日本フィギュア選手権で優勝し、北京オリンピックの日本代表となった羽生結弦選手。
4回転アクセルをプログラムに入れたことでも話題となりました。
オリンピック3連覇も期待されている羽生選手ですが、両親はどのような方なのでしょうか。
羽生選手の両親の名前や職業について調べてみました。
また、両親とのエピソードも紹介します。



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羽生結弦の母親|羽生由美は専業主婦
羽生結弦選手の母親は羽生由美さんといい、専業主婦をしています。
ただパートをしていたことはあるようです。
そんな由美さんの画像がこちら。

羽生選手は母親に似ているようですね。
トップスケーターである羽生選手の両親はあまりテレビや公の場に出ないことでも知られています。
理由は「頑張っているのは息子であって、親は関係ない」という両親の考えがあるからだそうです。
羽生選手はインタビューなどで謙虚な姿を見せていますが、その性格は両親の影響も大きいのでしょうね。
母親とのエピソード

羽生結弦選手と母親・由美さんのエピソードを紹介します。
羽生選手がブライアン・オーサーさんに師事することためにトロントへ移住した時には、由美さんも帯同したそうです。
さらに、由美さんは栄養管理やメンタルコントロールを勉強したりしているとのこと。
遠征にも帯同して、食事を作っているといいます。
また、2011年までは母親が羽生選手の髪を切ったり、衣装を作ったりしていたそうです。
羽生選手の活躍は母親のサポートあってこそなのでしょうね。
ただ、気が強い羽生選手と由美さんは他愛ない喧嘩をすることもあるものの、仲は良いとのこと。
2011年の東日本大震災で練習場所が確保できない時、練習ができるように母親がスケート連盟やコーチに頭を下げていたといいます。
その姿を見た羽生選手に母親の思いが伝わったのか、彼は「自分のために滑っているんじゃない」と言うようになったそうです。
そして、羽生選手は平昌オリンピックで金メダルに輝いた際、最初に金メダルをかけたのが母親だったとのこと。

また、インタビューでは母親について「傍にいてくれるだけで十分」だと話していました。
そう言ってもらって、由美さんはさぞ嬉しかったでしょうね。
羽生結弦の父親|羽生秀利は中学校の校長
羽生結弦選手の父親・羽生秀利さんは、宮城県の公立中学校で校長をしています。
画像がこちらです。

優しそうなお父さんですね。
秀利さんは、宮城県の公立校で教師を長年務めており、2014年まで石巻市立湊中学校に勤務していたとのこと。
それから利府町立しらかし台で教頭先生として勤務。
担当の教科は数学や技術家庭で、野球部の顧問をしていたそうです。
そして、2016年に塩竈市立第三中学校に異動となって校長先生を務めています。
教師から校長先生になっているとのことなので、教育現場での信頼も厚い人物なのでしょうね。
教育評論家・尾木直樹さんは秀利さんについて、
優しく謙虚で、教育が専門の私に対しても、『息子をこうやって育てた』といった話は何もおっしゃらなかった。
引用:Yahoo!ニュース
と話していました。
さらに、両親も羽生選手も家庭のことについて話すことはありません。

しかし、尾木さんは「両親は羽生選手と他の子供を比べない教育をしたのではないか」と推測しています。
その理由として、
羽生選手は誰かに勝つとか、倒すという言葉は口にしません。彼にあるのは、『4回転アクセルを完璧に成功させる』というような自分との闘いだけ。他人を意識せず、自分自身の心技体の向上に集中することができた家庭環境のおかげではないでしょうか
引用:Yahoo!ニュース
と話していました。
羽生選手は小さい頃からフィギュアスケートをしており、秀利さんの収入はほとんどフィギュアスケートの費用に使われていたといいます。
当時、家賃5万円くらいの県営住宅に居住し、切り詰めて生活していたとのこと。
ちなみにオリンピックで取材が殺到したので、2014年10月頃に仙台のマンションに引っ越したそうです。
家族の協力もあっての活躍なのでしょうね。
父親とのエピソード

羽生結弦選手と父親・秀利さんとのエピソードを紹介します。
まず紹介するエピソードは、『結弦』という名前を付けたのが秀利さんであるということです。
「弓に結ばれた弦のように、凛と生きてほしい」という意味が込められているといいます。
とても良い名前ですね。
また、秀利さんは野球部の顧問をしていたことからも分かる通り、スポーツでは野球をしていました。
父親の影響もあり、羽生選手はボール遊びがとても好きだったそうで周囲から「わんぱく少年」と思われていたとのこと。
しかし、喘息を持っていた羽生選手は激しい運動をすると息苦しくなっていたそうです。
そんな時、先にフィギュアスケートをしていた姉の練習について行き、フィギュアスケートを始めました。

このスポーツを始めたのは、羽生選手の喘息を克服するのが理由だったようです。
氷上でのスポーツであることから、ボールを使う競技に比べてホコリを吸い込むことが少ないと両親が考え、始めたとのこと。
羽生選手はどんどんフィギュアスケートの実力をつけていったのですが、小学3年~4年生の頃に少しフィギュアスケートが嫌いになってしまったといいます。
そんな羽生選手に対し、父親の秀利さんは「スケートが嫌なら辞めてもいい」というような話しました。
この言葉によって羽生選手は自分を見つめ直し、フィギュアスケートを続けていこうと決めたそうです。
秀利さんがフィギュアスケートについて口を出すことはほとんどないそうですが、いざという時に何かのきっかけになるような言葉を投げかけるなんて素敵なお父さんですね。
自主性を尊重する教育をしていたようですが、秀利さんは勉強の大切さについてはきちんと話していたといいます。
そのため羽生選手は学業の成績も良かったとのこと。
父親の「フィギュアスケートだけできる人になって欲しくない」という気持ちがあったのでしょうね。
まとめ|【画像】羽生結弦の両親(母・父)|職業やエピソードなどを紹介!

羽生結弦選手の両親についてまとめました。
簡単なまとめがこちらです。
- 凄いのは息子で親は関係ないという考えで公の場に出ない
- 母親の由美さんは専業主婦
- 衣装作りや食事のサポートをしている
- 父親の秀利さんは教師で、宮城県の中学校の校長
- 父親の収入はほとんどフィギュアスケートに使われていた
これからも羽生選手の活躍に注目ですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!






